未分類

感覚派料理

料理をするにおいて、計量はとても重要だ。食材や、調味料の量の少しの差によって、結果が大きく変わってしまうこともあるからだ。

以前、タイ料理屋で働いていたことがある。そこではランチタイムが始まる前に各自が自分で賄いを作って手早く食事を済ます、というスタイルだった。厨房内にある食材を使って好きな物を自分で作って食べていいのだ。

しかし、面倒だったことと、忙しかったこともあって、自分で作る賄いは毎日同じにしていた。下処理が済み既にカットしてある玉葱、パプリカ、そして下茹でしてあって後は味付けするだけの鶏肉、これらを油で炒めて塩を振りかけたもの、これを毎日食べ続けていた。

味に不足はなかった。毎食違うものを食べたい、という性分でもなかったため、飽きることもなく来る日も来る日も同じ賄いを食べ続けていた。

毎日同じものを食べ続けるうち、火入れのちょっとの差、塩加減の微妙な違い、そして食材の量そのもののバランスによって、賄いの味が結構変わるということに気付いた。

そこで材料は同じままに、火加減、塩の量、そして野菜と鶏肉の量の対比に工夫を凝らすようになった。

火を入れすぎると野菜は食感を失うし、水分が出てベシャベシャにもなる。鶏肉も然り、肉汁が逃げてパサつく。逆に加熱が足りなくて食べれないと言うことはないが、あまり美味しくはない。塩に関しては量が少ないと野菜の青臭さが目立つ。そして当然、多すぎれば塩辛くなってしまう。野菜の甘味、鶏肉の旨味が一番引き出され、最も美味しく感じられる塩の量がある。その量の閾値は結構ピンポイントであって、そのポイントを外すと料理が若干の不協和音を奏でる、まるでギターの音程をチューニングする作業のようだ。量のバランスも同じく大切で、野菜が多すぎで鶏肉が少ない、あるいはその逆であっても最適な美味しさを生み出す事はできない。

その差は実に微妙であり、その誤差を見極める為には計量が必要なのだ。

しかし、自分で食べる賄いを毎日作るために、わざわざ細かい計量など行ったことはない。それでもそのうち感覚で最適な火入れの具合、塩の量、野菜と鶏肉のバランスを掴めるようになった。

ただし、もしこれを毎日細かく計量を行いながら最適解を探していれば、もっと早く、確実に一番美味しい一皿を、安定的に作れるようになっていたであろう。

お店でお客さんに出すのであれば最高の物を効率よく早く、安定的に供給出来ねばならない。だが、そうでないのであれば、別に急ぐ必要はない。自分の勘、感覚だけに頼って料理をしたっていいではないか。だから感覚派料理だ。

-未分類